奇跡のリンゴ著者木村秋則氏が指導する「福島の田んぼ」でとれるおコメからは放射能が検出されない!

2013/04/28


福島の原発は全く「冷温停止」も「終息」もしていない。
むしろ以前より危険になっている!
http://keen-area.net/?id=26


でも書いたとおり、福島の原子炉=放射能問題はこの日本にとてつもなく黒い影を落しているのだが、「福島の田んぼ」である方法で栽培したおコメからは放射能が検出されないという。

その“ある方法による農法”とは
奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4344015444/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4344015444&linkCode=as2&tag=curiomagazine-22

という本の著者木村秋則氏の「木村農法」というもので、これはNHKなどでも取り上げられている上に第三の農業革命ではないかと言っている人もいる。さらにFAO(国連食糧農業機関)によって認められた農法だというのだ。

この動画は削除されました



木村秋則氏の最新著作「百姓が地球を救う」によれば、
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4809410129/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4809410129&linkCode=as2&tag=curiomagazine-22

自然栽培の木村農法で育てられた米に関して「同位体研究所で
福島と宮城の自然栽培米を分析したところ、
1ベクレルも 検出されなかったのです。(0以上1ベクレル未満)」
と書かれている。さらには、「 特に福島県産のお米は1メートル離れた 
あぜみちで高い数値がでていたにもかかわらずわたしが 
指導する 田んぼ では検出されませんでした。」とまで書いてある! 

これには 驚き! である。木村氏の自然栽培の田んぼからは、
放射線 が検出されないとのことである!

これは「奇跡」といえる出来事である。どうでしょうか?
木村氏はこの原因は はっきりとは解らないが、
一般の 田んぼ よりも 何倍も 多く住む バクテリア が 関係している 
かもと話している。とにもかくにも この様な 奇跡的な出来事が、
フクシマ の 田んぼで実際に起きていると言うのである。
【引用元記事】「wantonのブログ」様
http://ameblo.jp/64152966/entry-11405502782.html


この本の内容について
「黄金の金玉を知らないか?」様に
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/

アップされているので引用する

木村秋則さんの自然栽培  本山よろず屋本舗より
 20世紀の農業は、工業化されたものと言えると思います。
 大量の農薬、肥料、除草剤を撒いて規格化された農産物を大量に作るというのが基本でした。そうして撒かれる農薬、肥料、除草剤がそこで生産された農産物だけでなく、農地や河川などの環境を汚染していることは、多くの人が認めていることだと思います。
 こうした農法に対する反省から、近年は有機農法が注目され、化学合成された農薬や除草剤をいっさい使わない農産物が一部の人々に支持されるようになっています。私は(現在は)外食が中心なので、有機栽培された農産物を食べる機会はほとんどないのですが、それでも緑茶だけは有機栽培されたものを飲んでいます。値段は普通の物に比べて3倍近くするのですが、貧乏人の私のささやかな贅沢というか、有機に対するささやかなこだわりというところです。
 そんな折、木村秋則さんの『百姓が地球を救う』(東邦出版)を読んで、頭をガンとやられる思いでした。有機栽培もまた、環境を汚染するものであることや、一般に栽培された農産物と比べて、それほど優れた食品ではないことが書いてあったからです。有機は身体に良い物というイメージを持っていた私は、かなり驚きました。
 今回は、この木村秋則さんの自然栽培法を紹介したいと思います。

 私は知らなかったのですが、有機栽培の世界的な先進国はドイツだそうです。
 有機栽培に取り組んだことのある木村さんは、一度ドイツに行って学んでみないと思っていたといいます。しかし木村さんは、そのドイツでの講演会で有機栽培に対する強烈なパンチを浴びせることになります。
 そんな話題から紹介したいと思います。

 ・・・<『百姓が地球を救う』、p109~p115から抜粋開始>・・・

 有機栽培の世界的リーダーは、欧州一の工業国・ドイツです。オーガニック80年の歴史があります。
 世界141カ国に対して有機栽培の指導を行っている国ですから、わたしも一度は行って学んでみたいなあと思っていたところ、なんと同国の有機栽培認証団体・デメター(Demeter)から招かれ、農場を見学できることになりました。デメターは、ドイツのオーガニック製品を推奨・認定する団体でとても権威があります。そのデメターから講演まで依頼されたのです。小さな背中に日の丸を背負った気がしました。
 フランクフルトの講演会場に入り、まずドイツ語通訳の方と打ち合わせ。わたしは彼をあまり困らせないように、いつもの津軽弁をできるだけ標準語に近づけて話しました。すると通訳の方がいいました。
 「ありがとうございます。ただ、ひとつだけお願いがあります。日本人は悪い癖があります。結論を最後にいうことです。ドイツでは、結論は最初にいってください」  確かに、官僚や政治家のように本題から外れた話を長々と聞かせるのは、わたしもよしとしません。忠告を受け入れ、満員の聴衆に向けて講演をスタートさせました。
 ところが、通訳の人が一向に訳してくれません。ちょっと困った顔をわたしに向けて、「ドイツ語にしていいですか?」と聞いてきます。
 「えっ?」
 「訳していいんですか?」
 「ええ」
 「本当に訳していいんですね?」
 3回も確認してきました。なぜ躊躇しているのかわかりません。聴衆も怪訝そうな雰囲気です。
 「どうぞ、訳してください。結論ですから、最初に伝えてください」
 そういうと、ようやく納得したようで、わたしの結論をドイツ語に訳してくれました。
 その瞬間、ドイツの人たちが一斉に大憤慨しました。ブーイングとともに、革靴でコンクリートの床を踏み鳴らすのです。音がだんだん共鳴して高くなり、会場は異様な空気に包まれました。通訳の方は、「ほら、ね。だからいったでしょ」といった風情で、ソソクサと舞台を降りてしまいました。
 それほどドイツ人を怒らせたわたしの発言、それは、
 「あなた方は間違っている。80年間、いったいなにをしてきたのですか?」
 というものです。
 講演の前に見学させてもらった有機栽培の農場で、彼らはピンポン球のような小さなジャガイモを手に乗せ、わたしに、
 「80年のあいだ、肥料もなにも使っていないから、これぐらい小さくなってもしょうがない」
 といいました。憧れのドイツは、「肥料がないから仕方がない」というレベル。もしかして研究があまり進んでいないのかと感じました。
 デメターの有機栽培をチェックしていくと、ひとつ、決定的な要因が欠けていました。わたしはキッパリいいました。
 「あなた方のジャガイモが小さいのは、土の温度が低いからです」

 地中の温度を測って考える

 実際にデメターの畑に穴を掘って温度を測ると、わずか10センチ掘っただけなのに地表面よりも8℃も下がりました。どんな野菜も冷たいところは嫌いなのに、その冷たいところに、深さでいうと10.5センチの地中にタネを蒔いたため、ピンポン球の大きさまでしか育たなかったのです。大規模農場でタネを蒔く場合、機械の都合でそのくらいの深さになってしまうわけです。
 わたしは農作物のために、ところかまわず穴を掘って温度を測ります。自然の山の場合、50センチ掘っても温度差は1℃あるかないかです。一般栽培の畑の温度を測ると、深さ50センチの土は表面の温度よりも8℃ぐらい低く、これまでに最もひどかったところでは12℃も低いことがありました。

 なぜそうなるかというと、ひとつは硬盤層(こうばんそう)という、硬い土の層の影響です。効率よく作業を進めるために、トラクターなど何トンもある重たい農業機械を畑に入れ、土の上を何度も行き来するうちに、土を固めてしまいます。確認できる表面付近の土はフワフワサラサラに見えても、10~15センチ下はカチカチになっているケースが多く、農作物の根はここを突き破ることができません。
 硬盤層ができるもうひとつの理由は、バクテリアです。肥料・農薬・除草剤を使うと、バクテリアが働かなくなります。
 地球上の人口はいま、70億人を超えたといわれています。では、バクテリアはというと、たったひと握りの土のなかに、60億とも70億ともいわれる数が棲んでいます。肥料・農薬・除草剤によって彼らがお休みしてしまうと、固くて冷たい土になってしまうのです。
 80年間もオーガニックに取り組んできたデメターの農場ですが、地中10~15センチには、以前に使われていた肥料・農薬・除草剤のせいでできた固くて冷たい土、バクテリアの活動が弱い硬盤層があったと思います。重たい農業機械で踏み固めていたのかもしれません。
 「そこまでわたしたちのやり方を批判するなら、あなたのやり方を見せてほしい。木村さん、この畑にジャガイモを植えてみてください」
 デメターの人から挑発されました。
 わたしは、彼らが10~15センチぐらいの深さにジャガイモを植えたのに対して、5センチ掘っただけの浅いところに埋めました。浅く植えるのは機械では無理なので、すべて手作業ですが、土のなかの温度がどれほど大切かを知っていれば、それは当然です。
 さらに硬盤層を壊せば完璧ですが、時間の関係でできませんでした。硬盤層の下にはあり余るほどの養分があり、根がそこまで伸びると効果はてきめんに現れ、農作物が思うように育つのですが……。
 わたしの植えたジャガイモがどんな姿で収穫されるのかを想像しながら、ドイツを発ちました。
 翌年の6月、デメターの畑で収穫されたジャガイモが送られてきました。同じ土に同じものを植えて、驚くほどの違いが出たわけです。

 ・・・<抜粋終了>・・・

 木村さんの行なう自然栽培は、農薬はもちろん肥料も与えません。
 ここが有機肥料を与える有機栽培とまったく違うところです。農業従事者だけでなく、私達は農産物を育てるには、肥料が必要という固定観念を根強く持っています。その点で、木村さんの自然栽培には驚かされます。
 次に、木村さんが有機肥料の有害性に気付いたエピソードを紹介します。

 ・・・<『百姓が地球を救う』、p149~p152から抜粋開始>・・・

 わたしは自然栽培にたどり着く前に、有機栽培を経験しています。無農薬でリンゴを育て始めて2年は、化学肥料は使いませんでしたが、有機肥料=堆肥(バーク堆肥)を施していました。
 有機とは、「生命があるもの」と考えるとわかりやすいと思います。生命がないものでも紙、砂糖などは有機物ですが、いずれも安心感のある物質です。有機物は必ず炭素を含みますから、「燃やすと黒く焦げたり二酸化炭素を出すもの」と覚えるのもよいでしょう。
 無機とは、有機以外のもので、金属やガラス、気体などです。水や塩、二酸化炭素や酸素は無機物です。
 わたしは農薬を一切使わないと決意してから独学を始め、よく通っていた肥料・農薬販売店の社長さんから、
 「木村君、これ、読んでみないか」
 と奨められたJ・Ⅰ・ロデイルが書いた『有機農法』で、有機肥料を使う方法を学びました。
 牛、豚、鶏などの家畜のフンは動物性の有機肥料となり、葦(あし)などの植物、米ぬか、ナタネの油かすなどは植物性の有機肥料となります。
 わたしも有機肥料を作ろうとして、兄や仲間たちと一緒に堆肥場を設け、乾燥した鶏糞に稲藁や籾殻を混ぜたり、「リンゴに使うと甘くなるよ」といわれて魚滓(さかなかす)を入れたりしました。
 しかし、出来上がった堆肥をいざ畑に施すと、もう真っ黒になるほどアブラムシが大量発生するではありませんか。とても人力で処理できる数ではなく、殺虫剤で駆除するしか策がありませんでした。
 わたしは自分の堆肥のどこがダメなのかと、また手当たり次第に本を買って勉強しました。有機肥料の作り方使い方、堆肥の作り方、家畜糞尿について---いったい何冊読んだでしょうか。

 大自然にとっては堆肥も異物

 そんなとき、ニワトリを飼って卵を生産している知り合いの養鶏業者が、大量に出るうんちの処理に困り、自分が持っている山に穴を掘って生糞を埋めていると耳にしました。話を聞くと、満杯になるまで1年ぐらい使える大変大きな穴で、いっぱいになったら上から土をかぶせ、また近くに穴を掘って排泄物を埋めているといいます。
 「その山を見せてくれないか」
 しばらくして案内してもらうことになりました。
 「木村、ここだよ」
 現場に立って驚きました。その山には、草1本生えていないのです。土のなかには肥料ともいえる糞尿がたっぷりあるはずなのに、周辺の草木まで枯れているのです。見渡すかぎりのハゲ山です。なぜでしょうか?
 結論は、生糞は害があり、わたしが作った1年寝かせて1回発酵させた堆肥も「未熟な堆肥」ということでした。栄養分どころか、毒になるのです。4年も5年も冬を越して完熟させないと、有機肥料といえども虫を呼んでしまい、農薬に頼らざるを得なくなるのです。
 たとえば二十日ダイコンのタネを蒔いて、虫1匹来ずに二十日ダイコンができたら、使ってもいい完熟堆肥の証拠です。あるいは堆肥を一斗缶に少し入れて水を満たし、金魚を泳がせて1週間以上生き続けたら、その堆肥は完熟している安全な栄養分ですから畑に使ってもいいのです。
 でも、4年も5年もかけて堆肥を作るのは大変です。途切れることなく作るとなると、広いスペースが必要で、個人で行うのは困難です。完全な有機堆肥作りは諦めるしかありませんでした。
 わたしは思いました。
 「化学肥料も堆肥も、無機も有機も関係ないのではないかな。そもそも土のなかに人間の知恵をつぎ込もうとすると、必ず自然はしっぺ返しを用意してくる……」  畑が「騙されないぞ」といっているような気がして、わたしは以後、肥料も一切与えない方法を模索し始めました。

 ・・・<抜粋終了>・・・

 自然栽培と聞くと、人間の手をいっさい入れないで放置しておくようなイメージがありますが、木村さんの言う自然栽培はそうではないといいます。
 子供を育てる親のように、庇護が必要な幼少期は愛情を持って育てる必要があるといいます。農薬は肥料をいっさい使わないかわりに、その農作物が持つ性質を理解し、その作物が育つのに一番の環境を整えるのが人間の仕事だといいます。木村さんは自然栽培を簡単な数式で示しています。

 自然栽培 = 今までの農法 - 農薬・肥料・除草剤 + 人の「目」と「手」

 こうして自然栽培で育てた作物は、腐らないといいます。
 放置しておくと腐らずに“枯れる”んだそうです。以下は、枝豆の腐敗実験の写真です。左がこれまで行なわれてきた通常の一般栽培のものです。真ん中が有機栽培で育てられたものです。そして右が木村さんの自然栽培で育てられたものです。それぞれ15日間放置して、どのように変化するかみたものです。p219から抜粋して紹介します。

 農作物が腐らないという単純な事実に驚いてしまいます。
 20世紀の大量の農薬・肥料・除草剤を使う以前の時代の農作物は、こうしたものだったのかもしれません。だとすると現代に住む私達は、本来の農作物とはかけ離れたものを食べていると言えるかもしれません。
 次に、本題とは離れますが、自然栽培が子供の成長にも貢献するというエピソードを紹介したいと思います。

 ・・・<『百姓が地球を救う』、p185~p189から抜粋開始>・・・

 至極の体験が心を変える

 少年院に行ったこと、ありますか? わたしはあります。入れられたのではありません、ちょっと前に授業に伺ったのです。
 少年院には12歳から16歳未満の子どもがいる初等少年院と、16歳から20歳未満がいる中等少年院、そして犯罪傾向が高まった子どもを収容する特別少年院、また、心身に問題がある子どもが入る医療少年院があります。
 わたしが訪れたのは16歳より下の子どもたちが集まっている初等少年院でした。
 「更生教育のために農業をやらせたいんです。教えてやってくれませんか?」
 院長さんからそんな依頼が来ました。
 「革製品の加工やクロス貼り、クルマのタイヤ交換などをやらせていますが、なにか違うんじゃないかなあと。カリキュラムをただ消化しているだけになっているようで……」 とのことでした。
 一方、農業は土作りから始めて、環境を整備し、タネを蒔いて、農作物を一から育てなければなりません。そこには必ず心が伴いますので、若い人の人間形成には最適です。人作りができるのです。
 ただ、わたしにとっては思ってもみなかった依頼でもあり、さすがにちょっと躊躇しました。聞くところによると参加するのは男女合わせて18人。生意気盛りの少年少女を相手に百姓仕事を教えるのです。わたしにできるでしょうか……。

 意を決して臨んだ1回目、地域の方々が開放してくれた近くの畑に出かけて、みんな一緒に野菜のタネを蒔きました。やんちゃ坊主おてんば娘たちは、はっきりと壁をわたしに向けて作っていました。
 2回目、「また百姓仕事かよ」といった雰囲気がアリアリで、初回よりもさらに険悪です。
 しかし3回目、ぞろぞろと畑に出た瞬間、子どもたちの目がパッと輝きました。態度も一変、身体中に元気が漲(みなぎ)ったのです。
 芽が出ていたのです。自分たちの蒔いたタネが発芽したのです。
 「ねぇ、先生! どうしたらいい? 水やる?」
 「ここに虫がいるよ。捕る?」
 わたしはようやく先生に昇格できました。
 生徒たちに伝えたのは、愛情を持って育てなければいけないということです。野菜に対しても、土に対しても、虫に対しても、すべてのものに。
 まだ本当に小っちゃな芽が一人立ちできるまで守ってあげること、土が水分や養分を供給し続けられるように注意すること、鳥や虫がやってきて食べてしまわないように観察すること、などなど。悔しい結果にならないように、みんなで気持ちを込めて育てなければなりません。また、肥料や農薬を使ったら簡単にできますから、それに頼らずに、
 「農作物の持っている力を信じて、なにも与えずに育てなければならない」
 と、何度もいって聞かせました。

 4回目、5回目と授業を重ねるうちに、生徒たちは自分から近づいてきて、
 「木村先生、ぼくが育てたトマトが実りました」
 「わたしのトウモロコシもできたんだよ」
 といいにくるようになりました。
 そして最終回、収穫の日。
 大豆やトマト、トウモロコシなどをそれぞれが畑でもいで、テーブルを囲んでみんなでいただく瞬間がやってきました。
 ところが、だれひとり食べようとしないのです。
 自分が育てた野菜がいとおしくて、手をつけられないのです。
 「それちょうだい」
 「お前の食べさせて」
 みんな、自分の野菜はあとにして、ほかの人が育てたものを食べようとします。そして口々に、「旨い」「おいしい」「甘い」と驚嘆の声をあげ、ようやく自分が育てたものに手をつけました。
 神妙な顔になって、慈しむように口に入れました。
 「おいしい!!」
 「いやぁ、サイコ!!」
 明るい声が響きました。みんな、いい笑顔。これぞ至極の食です。
 肥科や農薬を一切使わない自然栽培には、自分の力を信じさせる効果や、人の心を豊かにする可能性があるのではないかと思います。

 ・・・<抜粋終了>・・・

 こうした木村さんの自然栽培ですが、単に一個人の農法というわけではなく、このところ着実に広がり始めているといいます。農業の専門家の中には、木村さんの自然栽培を第三の農業革命ではないかと言っている人もいるようです。FAO(国連食糧農業機関)によって認められたというのも大きいのかもしれません。

 ・・・<『百姓が地球を救う』、p202~p204から抜粋開始>・・・

 第三の農業革命「自然栽培」

 自然栽培が知られるようになったのは、NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』でわたしのリンゴ畑が放映された4~5年前からです。まだ実施している人はそれほど多くないのですが、2011年に入ってから大幅に増え、学識者の一部から、
 「これは第三の農業革命である」
 といわれるようになりました。
 それによれば、農業革命のいちばん初めは「緑の革命」です。
 化学肥料、化学農薬、農地整備、品種改良により、収量の増加と安定供給を成し遂げました。
 第二の革命は、1990年代に販売が始まった「遺伝子組み換え作物」です。
 大企業や産学連携によるバイオテクノロジーで、人工的なおコメ、穀物、野菜、果物を作り上げました。
 第三の革命は、21世紀の「自然栽培」です。
 生物の多様性と関係性を利用し、無肥料・無農薬・無除草剤での栽培を可能にしました。

 そして2011年、わたしが指導した自然栽培の実験田がある石川県能登地域と、新潟県佐渡市という2つの地域が、FAO(国連食糧農業機関)によってGIHAS【ジアス】(世界重要農業遺産システム)に認定されました。日本初、先進国で初めての快挙です。
 認定にあたり、わたしの自然栽培は肥料・農薬・除草剤を使わない『自然栽培AKメソッド』(Natural Farming AK Method=木村秋則式)として紹介されました。津軽のいちリンゴ農家の栽培法が、能登の水田による実績で、国連機関に認められたことは画期的です。
 自然栽培の正当性や将来性、そして責任をひしひしと感じた瞬間でもありました。

 ・・・<抜粋終了>・・・

 最後に木村さんの自然栽培に取り組んだ農家の心温まるエピソードを紹介したいと思います。

 ・・・<『百姓が地球を救う』、p208~p211から抜粋開始>・・・

 これは、わたしに賛同してくれている、ある一家の話です。
 そこのオヤジさんが、
 「これからは自然栽培で、肥料・農薬・除草剤を使わないおコメ作りをやっていこう」と一大決心しました。そして、
 「木村、教えてくれ」
 ということでスタートしました。
 初めの年はよかったのですが、自然栽培の性質上、やはり2~3年目から減収し始めました。なにをやっても収量は上がりません。15町歩あった田んぼのうち、7町歩は売りに出さざるを得ませんでした。
 底なし沼です。黙っていても沈むのですが、もがけばもっと早く沈みます。時間が解決してくれるのをじっと待つしかないのですが、それが人間には難しいわけです。リンゴが実ってくれるまでに木村家が味わった思いを、オヤジさん家族も味わっていました。
 日に日に高まる険悪な雰囲気のなか、もともと自然栽培に賛成ではなかった息子さんと大喧嘩になってしまいました。
 「オヤジー! もう、こんな栽培やめろ。俺はきょうでやめる!」
 そういって跡取り息子は家を出ていってしまいました。
 それっきり音信は途絶え、生きているのか死んでいるのかもわからないまま5年の歳月が過ぎました。
 その息子さんは、東京都内の食品会社でアルバイトをしていました。
 ある日のこと、係長から、
 「このおコメはとても特別なものだから、くれぐれも丁寧に扱ってね」
 といわれてコメ袋を任されました。
 「ハイ」と息子さんは答えましたが、
 「俺だってむかし、コメを作っていたんだよ。いったいどこのだれが作ったものだよ、そんな大切なコメって?」
 と思い、生産者名が書いてあるラベルを見ようとおコメの袋をひっくり返しました。
 そこに書かれていた名前を見た途端、涙が出てきて、気づくと膝をついておコメに頭を下げていました。書かれていたのは、まざれもなく自分の父親の名前だったのです。

 翌日、すぐに退職を願い出てアパートの部屋を片づけると、故郷へと急ぎました。
 何年かぶりに戻った実家で父親に謝罪しました。母親も快く迎え入れてくれました。
 いまは、親子仲良く一生懸命にコメ作りしています。泣く泣く手放した田んぼも買い戻し、23町歩まで増やしたといいます。
 いつからか、生産者と消費者の距離はとても遠くなってしまいました。でも本当は、おコメひと粒、ご飯いち膳に大きなドラマがあるわけです。
 どうか、皆さんにもそれを味わって食べていただければ嬉しいです。

 ・・・<抜粋終了>・・・




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